月別アーカイブ: 6月 2006

一人何役?

シェークスピアの喜劇「十二夜」では途中で人違いの喜劇が起こる。双子の女性が男性として勘違いされてややっこしい話が展開されるのだが詳しくはこちら。
 
さて、普通に暮らしている我々も時と場合によって色々な役割を演じている。さすがに男女が入れ替わるようなすさまじいのは滅多に無いにしても、人に教える立場の教員が人に教わることは少なくない。会社の中では、上司に叱られた中間管理職が部下を叱ることなどは日常茶飯事であろう。役割分担がきついと思うのは、そもそもなりたくない役割を演じなければならない場合。
 
そして短時間にいくつかの役割を使い分けなければならないことも結構きつい。舞台が違えば、家庭では父親、仕事場では営業マンなんてのは良いとして、自分の家で商売をしていて咄嗟に父親と営業マンを切り替えていくのは困難であろう。我々は一生の間一人何役をこなさなければならないのだろうか。
 

中古ギター ロングテールの典型

中古のギター(ヴィンテージギター)が中高年に受けている(らしい)。かく言う自分も3年ほど前に買ってしまった。1970年代のバンド「アメリカ」のスタジオライブのDVDを見ていたら、大好きな「ベンチュラハイウェイ」という曲で使われていたのが「ギルド D-55NT」というギターだったのでネットで探して御茶ノ水の店舗に買いに行った。正直言ってそれほど高いものではなかった。(妻は反対していたが。)
 
中学や高校の頃は、一流ミュージシャンが弾いているギターは30万円、50万円と正に高嶺の花で、手も足も出ない感じであったが、中高年になってお金が使えるようになり、ドルの価値も当時より大幅に下落(例えば1971年の1ドルは308円)した割に中古ギターはネットオークションの影響もあり、価格帯も広がり入手しやすくなった。
 
ネットを見ていたら自分の持つギターを紹介するサイトもある。1本のギターを宝物のように紹介する方もあれば、マーチンD45という最高級ギターを一人で8本も所有している人もいる。しかし、同じ型番でも年式や塗装、もちろん使用状態などで音は異なる。自分のようなミーハーな動機で買う人も、ミュージシャンとして真剣に買う人、投資のために買う人など様々で中古ギターはロングテールの典型だ。
 
あと何本か欲しいギターがあるのだが…
 

戦力ハ一気ニ投入セヨ

高校時代にお気に入りの漫画に松本零士の「コックピットシリーズ」があった。彼が宇宙戦艦ヤマトで大ブレークする前に一部のファンには「ヤマト」以上に人気があった作品だ。主として第二次世界大戦の日本軍とドイツ軍の名もない兵士を主役に戦闘とその悲惨な結末を描いていた。
 
そのエピソードの一つにドイツ軍のタイガー戦車の悲劇を描いた物語があった。そこで隊長は「戦車戦においては車両を一気に投入してこそ効果がある。」という台詞があった。つまり、もったいながってちびちび戦車を戦場に投入するのではなく、必要なら何十台も一気に投入したほうが戦果が大きいということである。
 
昨日、我が家でも夏に向けてダニ退治のために「アースレッド」の噴霧を行ったわけであるが、薬屋の店員はかのドイツ軍の隊長と同じく「アースレッドは一気に全部屋に投入してこそ効果がある」と主張した。その熱意にほだされて4個を購入し、ほぼ同時にダニ・害虫殲滅作戦を実行した。相手が目に見えないだけにどの程度の効果があったかは不明である。
 
客観的にいえばあれほどの煙の中では虫たちも(人間も)ひとたまりも無いであろう。

好事魔多し

どうも体調が良い時間が長く続きすぎたと思ったら案の定、夏風邪、腰痛と来てしまった。体調がいいとそれに便乗して予定をどんどん入れて忙しくする。暇な時間を少なくするということは、一方で休養の時間が減るということで疲れが溜まり何らかのきっかけで体が休養を要求し始めるということ。
 
早めに治療を受けたので今回は余り大したことは無いようだ。行きつけの整骨院の先生にも暫く姿を見ないので元気なのかなと思っていたといわれた。と同時に、たとえ体調が良くても月に2回くらいはメンテナンスの意味で通院するようにと釘を刺された。現実には痛みがひどくなってから駆け込み寺として通う訳で自覚症状が無いのに病院に行く人はごく稀であろう。
 
でも行くところまで行って体調を崩しまわりに迷惑をかけるよりは、早めに痛みが出て大事に至る前に治療しておけるようになったのは年の功というべきか。
 
 

コンテンツによる入会促進

電車の広告を見ると、某ケーブルテレビが運営するインターネットプロバイダーの「xx社のプロバイダーに入会すると台湾の人気テレビドラマが視聴できます。」というコメントがあった。要するに、このドラマを見たかったら私たちのサービスに入会しなさいという広告である。果たしてどのくらいの消費者がこの広告によって入会するのであろうか。
 
重要なマーケティング施策としてコンテンツによる差別化を行ってきたメディアは少なくない。NHKの衛星放送が米国メジャーリーグを盛んに放送したり、WOWWOWが映画と一部スポーツを中心に番組を再編したこともあった。比較的寡占化している衛星放送や携帯電話では通用するかもしれない。しかし、インターネットプロバイダーのように多くの業者が参加してかつサービスが多岐に渡る場合はコンテンツだけではほとんど消費者は動かない。
 
プロバイダー変更は多くの面倒な作業(例えば、メールアドレスやPCの設定変更、支払書類の記載など)を消費者に要求する。おまけに、テレビほど動画の品質は良くないし、一つのコンテンツそのものに魅力を感じる割合も小さい。従って、今回見た広告はあまりうまく機能しないのではないかと考える。これは自分が10年近く前に同じ失敗を経験してきているので間違いはないと思っている。
 

アフターアワーズ

昔は土曜日半日勤務(半ドン)というのが普通で土曜日の午後は一週間の仕事から解放されて、つかの間の自由を楽しむ雰囲気があったようだ。1950年代のアメリカ映画を見ていると、その後ジャズクラブに行って煙草をくゆらせながら一杯楽しむ(ネクタイを緩めて、上着を脱いで)なんてシーンがあったような気がする。
 
日本の会社はフレックスタイムや裁量労働といった制度の導入の一方、電子メールや携帯電話などの普及で「オン」と「オフ」のけじめがつけにくい環境になってしまった。確かに「時計」を基準に仕事を測定するというのは不合理な面も多いのだが、切替がはっきりしないというのもいかがなものかと思う。
 
幸か不幸か、自分は教員になって以来土曜日は勤務日である。従って、土曜日の夕刻以降は一応「アフターアワーズ」を楽しめる環境になっている。友人たちとジャズを聴きながらのんびりとお酒を楽しむというシーンもアレンジ次第では実現できそうだ。ようやくそんな年齢になってきたのかとも思う。
 

時代は変わる

たまたまバーズのカバー(原題:The Times They Are A-Changing)を聞いていたが、ボブ・ディランが1963年にリリースしたアルバムのタイトル曲 多くの人が歌い継いできた古典的な曲であり、フォークフェスティバルなどのテーマ曲としても何度も取り上げられてきた名曲である。サイモンとガーファンクルもデビューアルバムでカバーしていたし、ピーターポール&マリー、トレーシー・チャップマン、カーリー・サイモンとジェームズ・テイラー夫妻(当時)もNo Nukes(1979)原発反対コンサートで歌っていた。
 
まともに歌詞を読んだことはないのだが、アメリカンフォーク版の「方丈記」「平家物語」ということで、今権力をもっている人たちも若い人のことを無視していると後でひどい目に会うよ。だって時代は変わっているんだもん。という内容である。
 
ボブ・ディラン自身の30周年記念コンサートでシンニード・オコーナー(女性フォーク歌手)が観客からのブーイングで歌が歌えなくなってしまった(彼女がローマ法王の写真をテレビで破った為)事があった。しかし若き日の観客たちは正にボブ・ディランを権力に抵抗する旗手として支持してきたわけで、30年たつと時代は変わり、権力を指示する側になってしまうという暗示的な歌だった。
 

中田は何を想っていたのか

日本とブラジルの試合後、背番号7の中田が一人グラウンドに横たわったまま起きてこない。仲間が声を掛けても何か答えているようだが体は起こさない。いったい彼は何を想っていたのだろうか。サッカー人生としては大きな節目になる大会が終わってしまったことを考えていたのかそれとも試合を振り返り、やるべきことや今後のことを考えていたのか。凡人にははかりかねる。
 
いずれにしても、何か大仕事が終わった直後に振り返ることはきわめて重要である。自分なりにけじめをつけて、反省をするとともに次のステップに向けての可能性を考えることになるからだ。このような作業を「デブリーフィング」と呼ぶ。日本だと「反省会」と呼ぶことが多いのかもしれない。勝っても負けても、予想通りいっても行かなくても一旦自分がやってきた仕事の状況を客観的に冷静に振り返るのである。
 
サッカーのような団体競技にあっては、当然チームとしてのデブリーフィングが必要である。今回のジャパンのメンバーは形こそ違え自分なりのデブリーフィングは行うのだろうが、ジーコ監督と宮本キャプテンのリードでチームとしてのデブリーフィングを行う必要はあるだろう。(おそらく実施されるとは思うが。)
 
そして次の目標に向けて始動して欲しい。
 

元上司との再会

本日かつての勤務先の株主総会に行ってきた。最近はなかなか苦戦が続く中、社長も代わり新たな体制での出直しとなったが、比較的平穏な総会だったと思う。特に印象的な「不規則発言」もなく、約1000名ほどの出席だったと思うが、個人株主らしき人と社員株主が主体である。
 
さて、自分が入社したときに隣の課の係長だった方が、今回は副社長まで昇格して壇上でも最前列に座っていらっしゃった。株主の質問に答えるシーンもありご立派であった。自分が若いときにはよくマージャンに誘われてよく鍛えていただいた。そのころから豪放磊落で皆から好かれる方だったが技術畑が出世する会社にあってはおそらく最高位であり大したものだ。
 
自分が退社するときはラインの部長だったので本当は会わせる顔もないのだが、総会に引き続いて行われた株主と役員の懇親会の場で10数年ぶりにご挨拶した。昔と全く変わらない態度で咄嗟に当時自分が担当していた大手顧客向けの事業について説明していただいた。激務なのでお体だけには注意していただきたいものだ。
 

地下鉄乗り換え基準

久々に地下鉄に乗ってあまり知らない場所を何箇所か行った。まず、最適な乗換駅を探すのが大変。選択できる経路が複数ありどこで乗り換えるべきかよく分らない。特に最近出来た新しい路線は相当深いので単純にネットの乗り換え案内を見ただけではよく分らない。長尺のエスカレーターを何回か乗らないといけない。
 
また帰宅となると「座りやすさ」という基準が入る。多少時間がかかっても夜の満員電車は座れた方が良いだろう。(自分もそうだが酔っ払い同士が押し合いへしあいするのは気持ちが良いものではない)となると、どの駅から乗れば座りやすいかという戦略が加わる。
 
という訳で、昨晩は会合でお会いした人が同じ方向だったので案内してもらい、迷路のような地下鉄の駅構内を300m以上歩いてホームにたどり着いて、おそらく最も効率の悪いルートを選択し座って帰る事とした。もしも一人だったら一体どのようなルートを取っていたのだろうか?おそらく、駅の数が少ないが最も混んでいる路線を選んだような気がする。自分の場合はとにかく「最短時間」が唯一の基準だ。